平成とはスイーツの時代である!~平成スイーツ年表
「平らかに成る」と書いて「へいせい」と読む。今上天皇がご退位される平成31年(2019年)4月30日、平成の時代は終わりを迎えます。前元号の「昭和」を一言で言い表すときに、第二次世界大戦、高度成長、バブル経済と「激動の時代」ともいわれました。では「平成」は一言でどんな時代だったのでしょうか?自分は、とにかく、地震、豪雨、台風、火山活動と「大規模自然災害の時代」という印象があります。その一方で、「スイーツ番長」が登場したのも「平成」(笑)。だからというわけではありませんが、平成は「スイーツの時代」という思いが強くあります。昭和の後半からのバブル経済は、平成初期に終焉を迎えましたが、男女雇用機会均等法が平成直前の昭和61年に施行され、そんな時代に創刊された女性雑誌が「Hanako」です。「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」という大胆キャッチコピーで、昭和63年に世に出た女性向けの雑誌は「Hanako族」という社会現象を生み、翌年の平成元年の流行語大賞に「Hanako、Hanako族」が選ばれるほどでした。ケーキ、チョコ、アイス、デザートなど全てを「スイーツ」と最初に称したのが「Hnako」。まさに平成はスイーツと共に始まったのです。
INDEX
平成スイーツ クロニクル(平成スイーツ史)
「スイーツブーム史」など、まとめサイトのコピペがネット上に散見されますが、稚拙なものが多く、ブームを羅列することに意味はなく、ブームとトレンドをスイーツ番長が考察し、平成スイーツ史としてまとめ、公開いたします。ここでいう「スイーツ」の定義ですが、和、洋菓子を問わず、大手菓子メーカーなどで製造され、量販店、
(※完全版をめざし、随時加筆してまいります)
▼平成2年(1990年)
ティラミス大流行
実は先立つこと昭和61年(1986年)、「デニーズ」が日本で初めてティラミスをメニュー化しましたが、当時はまだティラミスの原材料、イタリア産のクリームチーズ「マスカルポーネ」が日本では入手困難で、ドルチェ(イタリアンデザート)のティラミスとは程遠い、コーヒー風味のスポンジとアイスクリームに、オレンジ風味のカスタードクリームがかかったデザートで、コーヒー風味の「サンデー」で、それなりに美味しく楽しんだ記憶があります。そして、昭和63年(1988年)不二製油から植物性のフレッシュタイプのチーズ風味原材料「マスカポーネ」(注意※マスカルポーネの”ポ”がない)が業務用として開発販売されると事態は一変。前述の「Hanako」平成2年4月12日号に「ティラミス」の大特集を掲載。これまで馴染みのなかったティラミスに世間は飛びつきました。その5月「デニーズ」は、コーヒーを沁み込ませたスポンジとマスカポーネクリームを交互に重ね、ココアパウダーをかけた現在の「ティラミス」の原型ともなるものに一新、新発売しました。そして「ティラミス」はカフェやケーキ屋などに爆発的に広がっていき、令和を迎える現在では大定番のスイーツとなったのです。
アイスクリーム輸入自由化~高級アイスクリームの台頭
平成2年にはスイーツ界に革命的な事が起きました。「アイスクリーム輸入自由化」です。高級アイスクリームブランドの「ハーゲンダッツ」はいち早く反応し、アイスバーの輸入を開始、パイントやガロンなどの大型カップを国内生産から輸入に切り替え、同時に高級アイスクリームのミニカップの国内生産と販売ルートを強化。セブン-イレブンやローソンなどコンビニなどで販売開始します。すると他のアイスクリームメーカーも、高級アイスクリームのミニカップ化、コンビニ販売に活路を見出だし、プレミアムアイスクリーム市場が拡大していくのです。
▼平成4年(1992年)
第1次タピオカブーム
香港料理(広東料理)のデザートの白いタピオカ(タピオカパール)に
ココナッツミルク(杏仁ミルク)と練乳のスープに、白い半透明の小さな粒々が入った、スプーンで食べるエスニックなデザートと「西米露(シミル)」が「タピオカ」デザートとして初めて日本に登場。これがタピオカブームの最初と言われているが、実はこれは今のタピオカとはまったくの別物です。
このタピオカと呼ばれていた西米露は、タイやマレーシアの華僑圏のデザートで、広東料理では定番の甜品(デザート)として楽しまられていました。白い粒々の「西米(シミ)」は「sago(サゴ)」というヤシ科の植物のデンプンで作られ「サゴパール」とも呼ばれています。現在のタピオカと原材料はキャサバというイモ科のデンプンで作られるというのは、メディアにより衆知となりましたが、おわかりのとおりに、まったく異なるものです。
当時はタピオカよりも、ココナッツミルクの味のほうを楽しんでいたように思う。バブル後半はエスニック料理ブームで、
▼平成5年(1993年)
ナタデココ
ヒット商品ティラミスに続けと、デニーズが前年平成4年にデザートメニュー化したことでメディアが注目。平成5年にフジッコがナタデココの自社生産を開始し、TV©コマーシャルの子フレーズ供のダンスとがお茶の間で話題になる。以後、コンビニなどでナタデココ入りのカップデザートが販売される。
なめらかプリン
パステルが「なめらかプリン」を販売開始。以降、カップデザートや洋菓子店のプリンは「なめらか化、とろける化」する傾向になり、プリンは「固め派?とろける派?」という論争もおこるほどに。
▼平成6年(1994年)
パンナコッタ
本来は、生クリーム、牛乳、砂糖を合わせて火にかけて、ゼラチンで冷やし固めた生クリームプリンのようドルチェ(イタリアンデザート)。平成4年にサントリーが粉末の「即席パンナコッタ」を製造販売開始し、平成5年にはデニーズでメニュー化、森永乳業がカップ入りを商品化し、平成6年にかけてブームとなる。
▼平成7年(1995年)
生チョコレート
1988年湘南「シルスマリア」で、従来からフランス菓子などにある、チョコレートガナッシュ(チョコレートと生クレームを混ぜ合わせたもの)を冷やし固めダイス状にカットしたものを「生チョコ」として販売。そしてこの年、北海道のROYCE‘が量産化すると、生チョコレートは全国区となり、平成10年頃には、洋菓子店でも多く見かけるようになる。
カヌレ
スイーツまとめサイトなどに、この年ブームだと散見(コピペw)されるが、言葉が独り歩きした珍しい現象。実際に販売した店は少なく、小ぶりでありながら売価も高く、口にしたことがある人も少なかった。カヌレがメディアに初めて登場したというのが正しいところでブームに至っていない。
▼平成8年(1996年)
モカフラペチーノの衝撃
スターバックスが、8月2日東京銀座に北米地区以外に初出店。社会現象となる。コーヒーなのに、もはやスイーツだった「モカフラペチーノ」の衝撃と言ったら、当時の自分には革命で、週に何度も通ったものだ。それにしても、生まれた時からスタバがある世代のトップが、もう二十歳を超えているということに驚く。
東京ディズニーランドに、キャラメルポップコーン専用ワゴンが登場
ポップコーンといえば映画のお供、と言われるほどの映画館の定番オヤツ。そんなポップコーンに革命をもたらしたのが、東京ディズニーランド トゥーンタウン内でのワゴン「トゥーン ポップ」などて販売された、キャラメルポップコーン。甘い香ばしいキャラメルポップコーンの香りは当時の大人を魅了し、アトラクション並みにポップコーンに大行列ができたりした。
そのポップコーンたっぷり入ったスーベニバケットを斜めがけして、手をベタベタさせランド内を楽しんだ思い出は、今となっては小っ恥ずかしい(笑)
その後2013年にグルメポップコーンがアメリカから上陸しブームとのる。
▼平成9年(1997年)
ベルギーワッフル
昭和61年梅田にベルギーワッフル専門店の元祖「マネケン」がオープン。同年に新宿にも開店し買い求める人で行列。平成9年にはマネケン創業者が本国ベルギーから勲章をもらい、ベルギーワッフルが世間から注目され、専門店がいくつも誕生し、コンビニにも登場。今でもコンビニに取り扱い商品化され、マネケンの店舗は行列している。
▼平成10年(1998年)
クイニーアマン
フランス伝統菓子「クイニーアマン」を、「セブンイレブン」が袋詰めしたクイニーアマン風菓子パンを発売、大ヒット。伝統菓子クイニーアマンを知られるきっかけとなるが、当時は本来のクイニーアマンはブームにはいたらず流行ったのはあくまで、コンビニの菓子パンである。だが現在は本格フランス菓子店やブーランジェリーでよく見かける。
ロールケーキのスイーツ化
昭和の時代、ロールケーキといえば、菓子パンメーカーで製造販売される、スポンジ生地に油脂クリームやジャムを渦巻き状に巻いたもので、ポリプロピレンフィルムに包まれ、常温で取り扱いできスーパーなどで安売り特売されたりする菓子パンの類であった。その後、国内の乳業メーカーの努力で、安定的に良質の「生クリーム」が普及するようになると、洋菓子店で「ホイップ生クリーム」を巻いたロールケーキが製造販売されるようになる。しかしロールケーキは前世代の菓子パンのイメージを払拭できずにいたが、そのイメージを覆し、ロールケーキをスイーツ化したのが熊谷喜八氏率いる「KIHACHI」グループであった。1988年バブル時代のデートレストランとして話題になった青山の「セラン」をはじめ、90’年代の外食シーンを席巻していた。平成2年に「パティスリーキハチ」1号店を開業。その後「キハチ カフェ」、「キハチ チャイナ」などを開業し、10年の「キハチ イタリアン」がオープンするころには、「KIHACHI」のシグネチャーデザート「トライフルロール」が大人気になり、店頭販売していた各地の「パティスリーキハチ」では品切れが続出した。この「トライフルロール」とは、薄めのしっとりスポンジ生地でイチゴ、バナナ、パパイヤなどのフレッシュなフルーツとたっぷりの生クリームで巻き、中心にカスタードクリームもあって、これまでのロールケーキの菓子パンというイメージを一新してくれた。これ以降、世間はロールケーキに対する意識をあらたまり、つくり手も刺激されロールケーキが「スイーツ化」したのが、この90’年代後半である。
▼平成11年(1999年)
エッグタルト
マカオの人気店「アンドリュー」の上陸により、各地で専門店が登場。
シナモンロール
アトランタから東京に上陸したフロストシュガーのシナモンロール専門店「シナボン」が2時間待ち行列に。思えばこれが「上陸系スイーツの行列の元祖」といえるのかも。シナモンロールはシアトルコーヒーショップチェーンですでに出回っていたが、この年から、コンビニやデパチカのベーカリーで「シナモンロール」が多く商品化される。
▼平成12年(2000年)
クレーム・ブリュレとクレーム・アメリ
まとめサイトなどには、”1991年に雑誌Hanakoの「91年のデザートの女王はクレーム・ブリュレ」という特集で大ブーム”とコピペ拡散されているが、このHanakoの記事そのものは事実だったろうが、平成12年にクレーム・ブリュレがブームだったというにはスイーツ番長的には抵抗がある。そもそもフレンチは当時は一般化されておらず、カセットボンベ式のバーナーも多く普及しておらず、食べられる場所もつくるところも少なかったのだ。クレーム・ブリュレが一般化するのは、原宿に平成7年(1995年)にオープンした「AUX BACCHANALES (オーバカナル)」の登場以降だろう。同店は「カフェ」や「ブラッスリー」といった業態が日本ではなじみのない当時に、制服のギャルソンを揃え、原宿の明治通り沿いにオープンカフェというスタイルで登場した、日本のカフェシーンのレジェンドである。平成12年には恋愛ファンタジー映画「アメリ」が公開され、主人公アメリが「クレーム・ブリュレ」の表面をスプーンで割って食べるシーンで、世界中の女子にクレーム・ブリュレブームを巻き起こりました。この年に前述のAUX BACCHANALESでは、クレーム・ブリュレを「クレーム・アメリ」として販売しブームとなりました。そしてこの年以降にクレーム・ブリュレは待場のカフェで多く見かけられるようになったと思います。
パティシェブーム
自由が丘モンサンクレールの辻口シェフが、フジテレビ人気番組「料理の鉄人」(平成11年)に出演し勝利したことで、世間が海外のコンテストで受賞したシェフや、海外のミシュラン有名店で修業したパティシェというワードに注目。欧州から帰国した鎧塚俊彦シェフは店舗がないにもかかわらず、Toshi Yoroizukaブランドを立ち上げ、大手百貨店の催事に出店話題となり、平成16年東京・恵比寿の「Toshi Yoroizuka」の店舗をOpen、平成17年には「 Sadaharu AOKI (青木定治)」が東京・丸の内のオープンする頃から、パティシェがさらに注目され、”スターパティシェ””スーパーパティシェ”という言葉も生まれる。ここ数年”小学生がなりたい職業ランキング”で、パティシェがトップを占めている。
▼平成13年(2001年)
抹茶スイーツの全国化
抹茶スイーツの元祖は、京都の老舗「京はやしや」が昭和44年(1969年)に販売した「抹茶パフェ」といわれています。80’年代には、京都の老舗茶店も抹茶パフェを販売し、京都ガイド本に多くとりあげられ京都名物として観光客にブームとなりましたが、平成8年にハーゲンダッツから抹茶のアイスクリームが販売され、抹茶スイーツが日常でも注目されます。平成13年スターバックスから「抹茶フラペチーノ」が販売され、抹茶スイーツが多様化全国化し、14年にはパリの「pâtisserie Sadaharu AOKI paris」で抹茶のエクレアが紹介されるとパリでもブレイクし、以降「抹茶」はお菓子の素材「matca」としてスイーツ界を席巻することになる。
焼き立て生地のシュークリーム
シュー生地は常にオーブンで焼き上げ、目の前でクリームを詰めて販売する、シュークリーム専門店「ビアード・パパ」が11年に1号店をオープン。その後順調に出店ラッシュ。各地で行列がみられ同業態店も増えた。
▼平成14年(2002年)
マンゴープリン
この年香港から日本進出した「糖朝」のマンゴープリンが女性誌などにとりあげられ、ブームとなり現在も同店の看板メニューとなっている。平成19年開業したザ・ペニンシュラ東京のシグネチャースイーツもマンゴープリンで、マンゴープリンは、香港デザートからパティスリーやコンビニでもなどでも販売される定番人気スイーツ化した。
▼平成15年(2003年)
ショコラ というワードの登場と定着化
平成13年東京・銀座に「ピエールマルコリーニ」が日本進出。そして伊勢丹によりサロン・デュ・ショコラ初開催。それまでチョコレート呼ばれていた、ヨーロッパブランドやパティシェメイドのものはショコラという言葉に置き替わり、内外から多くのブランドが登場。ショコラブームは現在では短なるブームとは異なる定番となる。バレンタインデーも当初本来の趣旨から大きく変わり、チョコレート楽しむ、爆買いするイベントと化した。
自由が丘スイーツフォレスト
平成5年新横浜ラーメン博物館に遅れること10年、ついにスイーツにもテーマパークが自由が丘に誕生した。スイーツという言葉が、より一般化する。
1本売りロールケーキ
「TVチャンピオン」のケーキ職人選手権大会で何度も好成績を収めた小山進シェフの「エス コヤマ」が兵庫県・三田市にオープン。番組でも取り上げられたロールケーキの1本売りを求め、店舗は連日大盛況。予約が1~2か月待ちと話題になり、以降各地で1本売りのロールケーキを扱う店が全国に広がる。
ニューヨークチーズケーキ
デパチカの洋菓子店「グラマシーニューヨーク」のホールタイプのニューヨークチーズケーキは、の1日3回販売時間、個数限定のため、整理券を配布したが、その整理券をもとめる列ができるほど人気に。フジテレビの人気バラエティ番組の”喰わずぎらい王”のゲストのおみやげで紹介され、人気に拍車がかかる。この年からニューヨークチーズケーキという呼び名が一般化する。
メロンパンブームとサービスエリア限定スイーツの誕生
90’年代中頃に、東名高速海老名サービスエリアにサービスエリア初となるベーカリーショップ「ぽるとがる」がオープンすると、焼き立ての「メロンパン」が、サービスエリア利用者の評判となり、15年にはメロンパン専門SHOPを併設。サービスエリアにしか店舗がなく他で購入できないことも相まって、メディアに大きく取り上げられ、さらにブレイク。この後、「メロンパン専門店」が巷に増え、さらに「サービスエリア限定スイーツ」の人気のもととなる。
▼平成16年(2004年)
プレミアムケーキ市場
ホテルニューオータニのパティスリー SATSIKI から、素材のすべてにこだわったショートケーキが販売される。「スーパーショートケーキ」という商品は、一般的なショートケーキの3倍以上もしたにもかかわらず、連日完売。このころから、プレミアムケーキ市場が開拓される。
▼平成17年(2005年)
マカロン
平成15年ごろから徐々に人気となった、いわゆる「パリジャンマカロン」は、「ピエール・エルメ パリ」のブティックが青山通りに2月にオープンしたことで一気にブレイク。各地に専門店も登場し、以降日本にも定番化する。
フルーツタルト
人気バラエティ番組「いきなり!黄金伝説」の“全国の超人気ケーキベスト100を食べ尽くす ” 企画で、フルーツタルト専門店「キルフェボン」が1位となり。各店舗で大行列化。フルーツタルト専門同業態店が拡大するきっかけになる。
▼平成18年(2006年)
グレイズドーナツ
12月、新宿サザンテラスに「クリスピークリームドーナツ」がアメリカから初出店。実演販売する「グレイズドーナツ」を求めて2時間以上も行列する社会現象となる。
ひと巻きロールケーキ
1本売りのロールケーキブームから、うず巻きロール状ではなく、生クリームを真ん中にひと巻きにした「堂島ロール」が話題となり行列スイーツに。その後、ひと巻きタイプのロールケーキは業界トレンドとなり、平成21年にローソンなどコンビニに登場する。
ホットケーキからパンケーキへ
パンケーキ愛好家がブログを綴り、やがて専門店「パンケーキママカフェVoiVoi」を東京・三軒茶屋に開業。パンケーキブ―ムのはしりとなり、その後20年にリコッタチーズのパンケーキ「bill’s」が上陸、22年にはハワイアンパンケーキの「エッグスンシングス」が日本初出店を果たし大行列店となり、ンケーキブームを牽引。23年には原宿に個人店「レインボーパンケーキ」が開業し、スフレタイプのパンケーキが人気となるきかっけとなり、時代は「ホットケーキ」から「パンケーキ」とその呼び名が変貌し、パンケーキは単なるブームに終わらない、国民的なスイーツとして定着すようになる。
※パンケーキについての詳細を知りたい方は下記の記事をご参照ください ⇒ 日本のパンケーキ年表 ⇒ パンケーキがホットケーキになるまで |
▼平成19年(2007年)
伊勢丹新宿店の食品フロアが大2007年にリニューアル
世界的に著名なパティシェや伊勢丹限定のブランドスイーツを一堂に集めたデパチカが話題になり、各百貨店のデパチカのラグジュアリー化が進む。
ラスク
ガトーフェスタハラダのホワイトチョコレートがけしたラスク「グーテ・デ・ロワ」の都内百貨店の出店により大行列。ラスクがギフトとしてもてはやされる。
生キャラメル
生キャラメル元祖のノースプレインファームが販売し、タレント田中義剛の花畑牧場ブランドで大ブレイク。
バウムクーヘン(バ―ムクーヘン)
平成12年にクラブハリエが梅田阪神に開設したバウムクーヘン実演工房を皮切りに、各メーカーがバ―ムクーヘン実演工房をオープン。この19年に大丸東京店が新装グランドオープンし、出店した「ねんりん家」の焼き立てバ―ムクーヘンを求める行列がニュースとなり、各地に実演焼き立てバウムクーヘンブームが広がる
スイーツ男子の顕在化
この年、スイーツ男子ブロガーが相次いで登場。スイーツは女性が楽しむものという世間から注目される。
▼平成20年(2008年)
第2次タピオカブーム
平成4年に、前述のとおりタピオカが話題となり、20年には本場台湾から快可立(Quickly)、EasyWay などのタピオカ入りのミルクティーブランドが日本に上陸し、コンビニなどでも飲料メーカーがタピオカドリンクが販売されてブレイク。このタピオカらほぼ現在のタピオカと同じ、キャッサバを原料とした、カラメルを入れて煉られた黒い球体のものである。さらに後の平成30年、原宿エリアに人気店が相次いで出店してインスタ映えと相まって再ブレイク中
マラサダ
ハワイのご当地ドーナツ「 マラサダ」の有名店が日本に初出店、「マラサダドーナツ」がコーヒーショップ各社で販売される。
▼平成21年(2009年)
コンビニロールケーキからはじまった、コンビニスイーツの競争激化
ひと巻ロールケーキのブームから遅れること3年、ついにローソンでカットされスプーンで食べるひと巻きロールケーキが販売され、各社も追随。21年はコンビニ各社の売上高は前年比微増という厳しい環境の中、スイーツだけで好調に推移したという。ロールケーキ、シュークリームなどチルド洋生菓子は、コンビニ各社が展開するオリジナルブランド商品が人気を集め、コンビニのスイーツ全体の売り上げの過半数を占めるほどに成長したほど。この年からコンビニスイーツが本格多様化し競争も激化しさらに高品質化。これまでは、コンビニスイーツ市場は、意外にも男性優位市場だったが、高品質化によりデパチカや洋菓子店を利用していた女性客をとりこむようになる。
天然氷かき氷
「食楽」といった。グルメ雑誌で天然氷のかき氷店が紹介され、食通が注目。東京から離れた秩父、藤沢といった郊外の店が平日でも行列し、その後の「かき氷」大ブームのきっかけとなる。
たい焼きブーム
ド定番の「たい焼き」がブームだったというの実感した人は意外と少ないのでは?タピオカ粉でつくる「白いたい焼き」を、メディアが面白がり追いかける一方で、従来からのたい焼きも消費者に再認識されたのがこの年で、21年のたい焼きチェーン市場は前年(78億円)の5倍近くの急成長(388億円)を遂げた(富士経済調べ)。さらに”熟練の鯛焼職人が一匹ずつ焼き上げる鯛焼”をコンセプトする、チェーン店「鳴門鯛焼本舗」(ドリームアドバンス)も、この年にブランド展開を開始し、現在も出店攻勢している。まさに「たい焼きブーム」だったのだ。
訳ありスイーツブーム
急成長する、ネット通販業界の食品部門の売り上げを牽引したのが型崩れしたものや、規格外商品などを、まとめて激安価格で販売する商品だ。中には、そのお店の販売売上数が、正規品よりも多いという、ありないバカげた状況もあったそうで、この影響からネット通販スイーツの安かろう、悪かろうというネガティブな印象を持つ者がいたのは残念である。
▼平成22年(2010年)
パフェ
スイーツ番長著書「男のパフェ」発売とともにパフェが、大人が楽しむ本格デザートとして注目され、カフェやレストランなどで多様化する。
▼平成24年(2012年)
コンビニ和スイーツ
平成21年からにコンビニロールケーキに続き、ローソンが4月に発売した「純生クリーム大福」が大ヒットに。各社がわらび餅など和スイーツを多様化
パンケーキブロガー&パンケーキブーム
「たっちゃんずパンケーキ部」「ミスター黒猫」などといった人気パンケーキブロガーが活躍することで、パンケーキ市場がより活性化。作り手と食べ手のネットワーク、一体化で、パンケーキ非常が、新たな「食」のムーブメントとなる。
楽天ショップのスイーツ
マダムシンコのバームクーヘン「マダムブリュレ」や、バニラビーンズの「ショーコラ」が品切れになるほど人気となり、メディアにも紹介され、ネット通販スイーツが注目される。
エスプーマ かき氷の登場
現 「和kitchenかんな」の 田中完二氏の店にてかき氷にエスプーマ を使用したメニューを提供。以降、エスプーマ を使った創作かき氷が、各所で提供されるようになり、後のブームにつながる。
▼平成25年(2013年)
ポップコーン
原宿表参道エリアにギャレット ポップコーン、ククルザポップコーンなど、フレーバー付きグルメポップコーンの専門店が登場。ポップコーンだけど高価格なのに行列が話題に。
シメパフェ
札幌エリア飲食店で流行りだした、夜のシメパフェが話題となり、全国に知られだす。
ショコラティエ
平成15年から毎年新宿伊勢丹で開催されている、チョコレートの祭典「サロンデュショコラ」に公式サイトがリリースされ、「ショコラティエ」というワードが知れ渡り、ショコラブームがさらに過熱。海外から多くのブランドが日本市場に参入してくる。
平成26年(2014年)
カップケーキ
アメリカの人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」に登場し、アメリカにカップケーキブームを巻き起こした『マグノリアベーカリー(MAGNOLIA BAKERY)』が表参道に海外初出店。カップケーキが注目される
ガトーショコラ
食べログの”全国のチョコレートのお店”カテゴリーで連続1位のケンズカフェ東京のオーナーシェフが執筆した「1つ3000円のガトーショコラが飛ぶように売れるワケ 4倍値上げしても売れる仕組みの作り方 (SB新書)」がビジネス書として話題となり、「ガトーショコラ」が注目され、各店も同タイプのガトーショコラを製造販売するようになる。
▼平成27年(2015年)
かき氷
天然氷や専門店のフワフワかき氷などですでにブームになっていたが、26年8月に奈良にて、かき氷イベント「ひむろしらゆき祭」が初開催され、イベンターヒライソウスケ氏自ら27年に、エスプーマを使った通年営業のかき氷店「ほうせき箱」をオープンし行列。台湾からは雪花冰の人気ブランド「アイスモンスター」が原宿に上陸。さらに人気テレビ番組「マツコの知らない世界」でかき氷が特集され、大ブレイク。かき氷を求め食べ歩く者を「カキゴーラー」「かきごおりすと」と呼称するようになる。
クロナッツ
ニューヨークよりドミニク・アンセルベーカリーが海外最初の店舗として、表参道にオープン。クロワッサンをドーナツのように揚げるクロナッツが日本に初登場、このころから、スイーツを掻き合わせたものを「ハイブリッドスイーツ」と呼ぶようになる。
いちごスイーツ
“15=いちご”の語呂合わせにより2015年は100年に一度の「いちご」Yearとスイーツブロガーが語ったことで、いちごスイーツが注目されメディアが特集。その後のインスタブームもあり、平成26年以降もシーズンにはいちごスイーツが多出することになる。
グラノーラ
厳密にいうと、食品でスイーツではないのかもしれないが、ブームの影響から、パフェやパンケーキのトッピングに使われたり、パティスリーで製造販売されるようになる。22年ごろからカルビーの「フルーツグラノーラ」の人気が際立ち、5年後の27年には売上が7倍に上ったという。
▼平成28年(2016年)
チーズタルト
自由が丘に焼き立てチーズタルト専門店がオープン。その後、同業態店が各地に出現しブームに。
パイ
西海岸で人気店が新宿に上陸。西海岸スタイルの同業態パイ専門店が各地に。
ビーン トゥ バー チョコレート
ビーントゥバー(Bean to Bar)とは、Bean=カカオ豆 to=から バー=板チョコ、のことで、カカオ豆の仕入れや焙煎など、チョコレート製造の全工程を一ヵ所で行うクラフトチョコレートの事で、23年ごろから日本でも注目されはじめ、28年ごろに国内外のブランドが出揃う。
▼平成29年(2017年)
ロールアイスクリーム
月、渋谷・原宿にオープンしたROLL ICE CREAM FACTORY(ロールアイスクリームファクトリー)は、オープン当初は最長5時間の行列ができその人気は現在も。
ホテルアフタヌーンティーセット
インスタ映えを狙ったメニューが、各ホテルから出そろい、インスタ女子などで、予約が大盛況に
フルーツサンド
断面萌えなどのインスタ映えでブームに
スムージーボンボン
韓国発のカップに入ったスムージーとフルーツのパフェ。苺ブームと相まって、行列店も出没する。
コッペパン専門店
盛岡のソウルフード、コッペパン専門店「福田パン」の成業を見て、各地にご当地コッペパン専門店が登場。
▼平成30年(2018年)
もぐもぐタイムのスイーツ
平昌五輪カーリング女子1次リーグの日本(LS北見)対OAR戦ハーフタイム「もぐもぐタイム」に、「赤いサイロ」という、LS北見の地元「清月」のチーズケーキを食べていたことで話題となり、過去にもテレビ朝日のバラエティ番組「シルシルミシル」の「全日本隠れたお土産お菓子-1(K-1)グランプリ」で優勝していたことから、注文が殺到した。
チョコミント
昭和のころから、地味ながら存在感を放ち、脈々と支持され続けてきたチョコミントがついにブレイク。17年放送のバラエティ番組「マツコの知らない世界」でチョコミントが特集され、インスタの「映え」によりさらに話題拡大に。
第3次タピオカブーム
平成25年に本場台湾のタピオカミルクティーの元祖「春水堂」が日本上陸したのを皮切りに、台湾のタピオカティー人気店が、原宿・表参道エリアに出そろい、地方にも進出。雨後の筍のように各地に独自のタピオカ入りティーショップが誕生、インスタ映えで一大ブームに。
桃スイーツ
インスタ映えすることから、桃パフェなどがブレイク。
▼令和元年(2019年)
令和に流行るスイーツとは?
「令和」の引用元「万葉集」の「「梅花の宴」が詠まれたとされる「筑紫歌壇」の地にちなんだスイーツがブームになれば、浪漫だね。それこそ太宰府の{梅が枝餅」などにもスポットあてたいし、万葉のふるさと「奈良」や「明日香」のスイーツにも注目です!!