【新説】ハンバーグのルーツは横浜にあり!! ③

ハンバーグらしきものの登場

日本に於けるハンバーグステーキのルーツは、以下に示すとおり諸説あるが、どれもこれも、この「ドミグラスソース」というハンバーグステーキの定義を照らすと物足りない。

ビトック・ア・ラ・ルース(ロシア風ビトック)説

「ハンバーグラプソディー (ハウスポケットライブラリー ; 3) / 1988.10 ハウス食品工業」によると、1861年(万延2年)に、長崎の西洋医学者・松本良順の家で開かれた、オランダ人医師・ポンペを囲んだ宴の席で「豚ビストク」が供されたとあり、これがハンバーグの原型と紹介されているが、ビストクとはフランス語料理名「Bitokes à la Russe ビトック・ア・ラ・ルース(ロシア風ビトック)」のことで、挽肉に小麦粉をまぶして揚げ焼きしたもので、むしろミートボールなどに近い。これがハンバーグの原型というには無理があり間違いと思われる。

▼アメリカ伝来節

幕末の黒船ペリー来航と咸臨丸による太平洋航海というの強烈なイメージ、そしてハンバーガーの存在からアメリカ伝来節が根強くあるが、1859年横浜開港後の1861年から1865年にアメリカでは南北戦争が起こり、対日政策どころではなかったはずで、開港後に日本との交流が著しく減速した。それが証拠に、1865年の各国の対日貿易の割合はイギリス86%、フランス8.2%、オランダ4.3%、アメリカはたった1.5%でしかなかった。このような背景から、開港維新後、アメリカ人との交流は急激に減速しアメリカ伝来説はまったくないと言ってよいだろう。もし、アメリカがルーツだとしたら、アメリカから開港とともに入ってきたトマトケチャップでハンバーグを食べていて、今のドミグラスソースとは違う進化をしていたかもしれない。

▼赤堀割烹教場 説

また「指南包丁 出雲明著 / 1963年赤堀学園出版局」によると、1882年(明治15年)に開設された日本初の料理学校「赤堀割烹教場」の開校披露の席上にハンブルグステーキいう料理が供され、そのレシピも「洋食五百種 : 家庭応用 赤堀吉松 等著 / 1907年新橋書店」に公開されている。

これは、ほぼ古いフリカデレのレシピと同じだが、表面に小麦粉をまぶして焼くところが、ハンバーグの定義に照らすと少し物足りない。そして何より、ドミグラスソースもない。なにより、仏教伝来以来、開港するまで肉食禁忌だった日本人が、このハンバーグのレシピを考案したとは考え難く、ハンブルグステーキという名称からフリカデレがルーツというのは間違いないだろう。

▼ボーカス著 常磐西洋料理 説

「常磐西洋料理  ボーカス著/ 1904年常磐社」にもハムブルグステーキのレシピがあるが、「赤堀割烹教場」とほぼ同じ記述で、我々の知っているハンバーグステーキとは異なる。

興味深いのは、常磐西洋料理説にしても、赤堀割烹教場説にしても「ハンブルグステーキ」としていることだ。当然日本にはそんな名称、レシピがなかったわけで、すでに開港地にあったレストランや料理人の受け売りであることには間違いない。いずれにしても、これらがたとえ日本のハンバーグのルーツだったとしても、西洋料理店やレストランでの、メニューとして出されていたわけではないので、ハンバーグのルーツとするのには違和感を覚える。そして、この時代はまだ、「ドミグラスソース」が日本に普及しておらず、日本のハンバーグステーキのルーツとは言うことができないのは明らかだ。

日本のハンバーグのルーツはフランス料理だ!

【新説】ハンバーグのルーツは横浜にあり!! ④に続く…